アリス さん

私立高校に通う、高校1年です。
実は私、府内トップの公立高校に志願して、一般入試では大体380/400ぐらいの得点率でした。
でも、合格発表に私の受験番号はありませんでした。
中学3年の夏ぐらいから勉強を始めて、夏時点では偏差値がたった55ぐらいだったのが、冬ごろには72を超えていました。
「絶対受かる」と確信して、どうせ受かるなら主席で受かってやろうと、最後の数ヶ月は必死に勉強しました。
でも、結局合格できませんでした。

私は大阪府に住んでいます。
大阪府では、「内申」のウエイトが大きかったのです。
私は、中学校でまじめにしてなく、家と塾で勉強していた人間なので、学校での評定も可もなく不可もなくだったのですが、「内申」は、440点満点中、わずかの200点前後だったのです。
私はその時思いました。
なぜこれだけの成績を出しているのに、内申というつまらない鎖で引き摺り下ろされなくてはいけないのか、と。

合格発表の日は雨で、同じ中学校の合格した友達と帰るときに、傘も差さずに駅で友達と別れ、併願した高校に入学手続きをしました。
不思議と涙は出ませんでした。
むしろ、あまりのショックで何も感じられなくなりました。
世界が、そのとき私の中で変わりました。
具体的に見えない、「何か」が、私の中で芽生えたのです。

私の勉強の目的はいつも、”ブランド”でした。
いい高校に入って、他人に自慢したい。
どうせ入るなら、府内でトップ高に入ってやろう、と。
でも、叶いませんでした。

失意に落ち込んでいても、否応なしに始まる高校生活。
私が入学した高校は、進学校のくせに、公立のような学校で、校則がほとんどあっても無いに等しい学校です。
まさにユートピア。何でもありです。
最初の数週間は何の気なく過ごしていたのですが、最初の模擬試験で志望校を選ぶ時、ふと思いついたのです。
何かが蘇ってきたのです。
あの、合格発表の日に、番号が無かった屈辱。
トップ成績だったのに、自分以下の成績の人間に負けた屈辱。
追い求めていた”ブランド”が掴めなかった、屈辱。
そのとき、はっきりと、そして自然と思ったのです。

「大学受験で取り戻そう」と。
そして、どうせ受けるなら、日本で一番優秀な大学にしようと。
決断に迷いはありませんでした。

「東京大学」

この大学こそ、私が高校受験で逃した”ブランド”を遥かに超える価値がある、と私は思い、絶対入りたいと思いました。

それから一年ぐらい。
今も、”あのとき”感じた、”決意”を持って毎日勉強を続けています。
「何があろうと、高校受験の時に感じた、屈辱、劣等感は二度と味わいたくない」
こう思うので、私は勉強をします。
それに、「東大に入ったら、どんな生活が待っているんだろう・・・?」と思うと、すぐにでも勉強したくなります。

私は、ここに東大に絶対に受かると誓いを残します。
二年後、必ず笑ってこの誓いを果たせるように・・・


(追伸)
センター試験が終わった翌日、学校で受けたセンタープレ試験は、英語が136/200という泣きそうな成績でした。
学年では2、3位ですが、1位は138点だったという僅差(涙)
絶対、2年後には満点取れるようにがんばります!!

長々と駄文失礼いたしました m(_ _)m





(サトルより)

それは非常につらく、そして悔しい思いを経験してきましたね。
間違いなく受かると思っていたところに、
こんな結果と出会ってしまうとは、まさに青天の霹靂です。
しかもお友達だけ受かって自分が受からなかったら、
なんともいえずやりきれない気持ちになってしまいます。

しかし、アリスさんは諦めませんでしたね。

高校入試で果たせなかった夢を、大学入試で叶えよう、と。
東京大学は、それにふさわしい大学です。
日本一のブランド力があります。
社会に出れば、いつも見られるのは最終学歴です。
高校や中学は実際のところあまり関係なくて、
どんな大学で学んだかということがもっとも重視されるのです。
それは、大学入試が平等だからですね。
内申書のような不透明な基準の入り込む余地はありません。
安心して、全力で立ち向かうことのできる相手なのです。

一度屈辱を味わった人は強いです。
それがいかに大変な苦痛であるかを身をもって体験しているので、
今度こそは絶対に避けようという強固な意志を持っています。
さらに、東大生のキャンパスライフに思いをはせながら、
わくわくしながら勉強をすることができているアリスさんならば
ここでしてくれた合格の誓いを必ず果たしてくれそうですね!

もうすこしで学年1位だったのに、おしかったですね。
とりあえず学内1位になったら、次は日本一を目指しましょう!

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